フランス大革命から第四共和政まで ≪フランス・革命・カテゴリー≫
1789年、ブルジョア市民革命により共和政が成立。
ルソーなど啓蒙思想による、自然権を基礎にした「人間および市民の権利宣言」が出された。
革命期、女性たちは政治クラブを組織し、離婚や政治的諸権利を要求して戦った。
なかでもオランプ・ド・グージュは、「人権宣言」の人間・市民は男性であって女性は含まれない、女性にも人権・市民権を与えよと、1791年に『女性と女性市民の権利宣言』を起草した。
しかし、フランス革命は、グージュの主張するあらゆる不平等の根本原因である女性に対する専制支配を問題にすることなく、逆に93年、彼女は敵対する革命派によって処刑された。唯一、『女性の市民権の承認について』を書いたコンドルセを例外として、啓蒙思想は領域論と役割論を結び付け、女性の役割は妻・母であるとして、女性を私領域に閉じ込め、公領域である政治から排除した。
領域論は以後、教育、労働などあらゆる分野で女性の地位に決定的影響を及ぼす。
とはいえ革命期には、女性は身分登録や離婚の権利など民事上の諸権利を獲得した。
女性の市民権が構想されたこと、女性に民法上の法人格を認めた意味は大きく、これらはフェミニズム、とくに女性の参政権獲得の理論的基盤をなすことになる。
しかし、ナポレオンが皇帝となり、ブルジョア階級の理念である家族秩序の維持、権威の強化を図る民法典が1804年に発布され、妻は人格、財産、生活のすべてにおいて夫に管理されるという夫権の絶対性が明文化され、女性は革命前の旧体制下より徹底して男性の所有物となった。
1816年には離婚も禁止され、女性は民法上の法人格を完全に失った。
大革命以後19世紀の近代国家形成を通じて、女子教育は教会と国家の権限争いの対象となるが、漸次修道院中心の教育から公的な非宗教的女子教育へと移行する。
教育内容は男女別学で、女子には家庭を守る「教育者としての母」の役割を重視する教育が行われた。
1860年代~80年代に、公立女子小学校、女子中学校教育、女子師範学校の設立・整備が行われたが、中学校以上は中産階層が対象であった。
教育内容の男女統一は1925年以降であった。
一方、産業化の進展は繊維産業などに女性労働者を層として生み出したが、その大半は若い独身の女性であった。
未婚既婚を問わず、民衆階層の女性の多くは農業など家内労働に従事するか、または家内奉公人、衣服の裁断など伝統的部門で働いていた。
19世紀後半には労働人口の30%を、20世紀に入ると、事務員、教員、店員などの40%以上を女性が占めた。
しかし、領域論により女性の役割は家庭にあるとされ、労働市場の性別分離が進み、女性労働は劣悪な労働条件のもと低賃金に押さえられた。
ルソーなど啓蒙思想による、自然権を基礎にした「人間および市民の権利宣言」が出された。
革命期、女性たちは政治クラブを組織し、離婚や政治的諸権利を要求して戦った。
なかでもオランプ・ド・グージュは、「人権宣言」の人間・市民は男性であって女性は含まれない、女性にも人権・市民権を与えよと、1791年に『女性と女性市民の権利宣言』を起草した。
しかし、フランス革命は、グージュの主張するあらゆる不平等の根本原因である女性に対する専制支配を問題にすることなく、逆に93年、彼女は敵対する革命派によって処刑された。唯一、『女性の市民権の承認について』を書いたコンドルセを例外として、啓蒙思想は領域論と役割論を結び付け、女性の役割は妻・母であるとして、女性を私領域に閉じ込め、公領域である政治から排除した。
領域論は以後、教育、労働などあらゆる分野で女性の地位に決定的影響を及ぼす。
とはいえ革命期には、女性は身分登録や離婚の権利など民事上の諸権利を獲得した。
女性の市民権が構想されたこと、女性に民法上の法人格を認めた意味は大きく、これらはフェミニズム、とくに女性の参政権獲得の理論的基盤をなすことになる。
しかし、ナポレオンが皇帝となり、ブルジョア階級の理念である家族秩序の維持、権威の強化を図る民法典が1804年に発布され、妻は人格、財産、生活のすべてにおいて夫に管理されるという夫権の絶対性が明文化され、女性は革命前の旧体制下より徹底して男性の所有物となった。
1816年には離婚も禁止され、女性は民法上の法人格を完全に失った。
大革命以後19世紀の近代国家形成を通じて、女子教育は教会と国家の権限争いの対象となるが、漸次修道院中心の教育から公的な非宗教的女子教育へと移行する。
教育内容は男女別学で、女子には家庭を守る「教育者としての母」の役割を重視する教育が行われた。
1860年代~80年代に、公立女子小学校、女子中学校教育、女子師範学校の設立・整備が行われたが、中学校以上は中産階層が対象であった。
教育内容の男女統一は1925年以降であった。
一方、産業化の進展は繊維産業などに女性労働者を層として生み出したが、その大半は若い独身の女性であった。
未婚既婚を問わず、民衆階層の女性の多くは農業など家内労働に従事するか、または家内奉公人、衣服の裁断など伝統的部門で働いていた。
19世紀後半には労働人口の30%を、20世紀に入ると、事務員、教員、店員などの40%以上を女性が占めた。
しかし、領域論により女性の役割は家庭にあるとされ、労働市場の性別分離が進み、女性労働は劣悪な労働条件のもと低賃金に押さえられた。
update:2010年02月24日
